日 時 | 2001年03月03日(土) 2:00〜6:00 早稲田大学14号館604室 | |
題 目 | 研 究 | 「戦後カリキュラム研究における国語教育の特質」 坂口 京子(荒川区立第四中学校) |
学会設立記念講演 |
「戦後「新教育」を振り返って」 |
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参加者 45名 |
赤荻千恵子、赤羽清孝、石毛慎一、伊藤博、今井亮仁、岩崎淳、岩永正史、岩淵匡、牛山恵、榎本隆之、大平浩哉、小原俊、笠井正信、梶村光郎、北林敬、喜多見眞弓、工藤哲夫、熊谷芳郎、倉澤栄吉、黒川孝広、小久保美子、小林國雄、坂口京子、上甲健、須貝千里、高山美佐、田近洵一、土屋俊朗、中島國太郎、難波喜造、西田理乃、野中三恵子、野村耕一郎、野村敏夫、府川源一郎、福田実枝子、古川優子、前田健太郎、増田理恵、水野直子、水野美鈴、依藤美佐、渡辺京美、渡辺道子 | |
「昭和20年代の国語教育史」 坂口 京子(荒川区立第四中学校) | ||
発表内容 | 昭和20年代のカリキュラム研究において、言語の学習は、コア(中心学習)、技能的な学習、情操的な学習、学校教育全体に関する学習等、カリキュラムの各領域に関連する重要な学習として尊重されようとしていた。確かに、社会的な問題を解決するコア(中心学習)においては、言語は「生活の用具」として位置づけられているが、カリキュラム全体における言語観はそれを超えるものがある。 ただ、日本のコア・カリキュラムの実践においては、どのように言語活動及び言語能力を、カリキュラムのどの領域に位置づけるべきかという点が曖昧である。そのため、具体的な単元の計画においても、言語学習への配慮が十分とは言いがたい。 その原因の一つは、アメリカのコア・カリキュラムを啓蒙した倉澤剛が、自信の言語学習観を展開する中で主張していた点に見るべきであろう。倉澤は、アメリカのカリキュラム研究の基礎に、確固たる言語プログラムが存在していることかに気づく。そこでは「読み、書き、話し、聞く、綴る」はもちろん、学習や生活の態度にいたるまで、それぞれの「技能(スキル)」は分析され、しかも、言語プログラムは、それられの能力を高めていくための指導段階や留意点を含めて考えられているのである。 それに比し、昭和20年代前半のわが国では、カリキュラム研究の基礎となる言語プログラムや能力表が存在せず、一人一人の教師が、実践の過程で教師が経験的に模索していったのであろう。その点が、当時のコア・カリキュラムにおける言語学習の弱点の一つであったと考える。 しかしながら、当時のカリキュラム研究において、学習者の興味と必要を喚起し、生活経験に即した言語活動が重視されていたのは事実である。これまでに見てきたように、教科別の「国語」の学習については、梅根と倉澤ではその見解は分かれているが、「自発的な学習を保障する」という点では両者ともに共通していたと言えるであろう。 (発表資料「5 まとめと課題」より) |
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資料目次 | (ダウンロードできる資料は4月下旬に公開します) 1 本発表の目的 2 カリキュラム改造運動と「コア・カリキュラム」 3 カリキュラム構造の実際 3.1 アメリカのカリキュラム構造 3.1.1 言語学習をコアとするカリキュラム 3.1.2 教科領域としての「国語」 3.1.3 技能課程における「国語」 3.2 コア・カリキュラム連盟の「カリキュラム構成」案 3.3 カリキュラム構造の多様な展開 4 カリキュラム構造の言語の学習の位置と内容 4.1 倉澤剛のカリキュラム構造と言語学習 4.2 梅根悟のカリキュラム構成と言語学習 5 まとめと課題 |
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「戦後「新教育」を振り返って」 倉澤栄吉先生 | ||
講演内容 | ・アメリカ教育状況視察旅行について ・戦後国語教育雑誌について ・IFELの内容について ・教育調査の必要性 など |
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資料 | ・IFELのバッチ ・戦後の「新教育」での国語教育者の写真 ・ダルトンスクールの学校案内 その他 |